山車紹介

令和二年度 奉納山車

令和二年度奉納山車のご紹介です。

壱番山車

岩崎区
本多 忠勝(ほんだ ただかつ)

現在の山車屋台は、明治30年に白木造りで作られたもので、今年で120年以上経過しています。また、水引幕は、昭和56年に丹後ちりめんの白生地に、当時京都在住の動物画の大家(特に猿の絵が得意)である今尾画伯が直筆したものです。
山車人形は、昭和56年に初めて区民の手で制作して以降、自主制作を続けています。
14作目の今年は「本多忠勝(本多平八郎忠勝)」です。徳川家康に仕え、徳川四天王のひとりで、家康と共に天下統一を成し遂げた人物です。忠勝の使用した愛槍は「蜻蛉切(とんぼきり)」と呼ばれ、穂先に止まったとんぼを真っ二つにしたという逸話があり、柄の長さが6mあったとされています。また、戦には57回出陣して、かすり傷一つ負わず、「ただ勝つのみ」との願いで「忠勝」と名付けられた名前は、三国祭の一番山車にはうってつけの武将だと思い、祭りの先陣を切り進みます。

弐番山車

中元区
勧進帳(かんじんちょう)

中元区の屋台は、慶應3年(1867)に棟梁 西川安右ヱ門、塗師 井田一洞斎により、制作されたもので、幕末から明治初期の三国の工芸技術の特徴を示しています。屋台の塗りは高蒔絵や螺鈿細工が施され、初代一洞斎の技術の粋が伺われます。水引幕は、表地が白羅紗に、吉祥の図柄として鳳凰・龍・麒麟(阿形と吽形)・雌雄の蓑亀に3匹の子亀が金糸や銀糸の箔糸で、オランダ繍・駒繍・刺繍・わた肉を駆使して立体感を巧みに表現しています。また、水引幕の下部には金糸で青海波の文様が施されています。裏地は橙地唐花に龍丸鳳凰文様の金襽で、表地と袷仕立てにして、四方は茶地市松文様の銀襽による覆輪仕立てとなっています。
今回の奉納山車人形は、歌舞伎十八番で有名な「勧進帳」弁慶の飛び六方です。勧進帳は平成2年以来、30年ぶり2回目の奉納となります。
また、練習を重ねた6名の子供たちが元気あふれる掛け声と力強いバチさばきを披露しますので、ご声援お願いします。

参番山車

三国祭保存振興会

明智光秀(あけちみつひで)「敵は本能寺にあり」

三国祭保存振興会は、伝統ある三国祭を町民の手で守りながら、三国町だけでなく、坂井市全体の三国祭として継承していく活動を行っています。
明智光秀は、美濃(岐阜県)を追われた後、越前(福井県)の朝倉義景を頼って一乗谷に身を寄せ、坂井市長崎にある「称念寺」の門前に10年くらい住んでいたとされ、三国湊や雄島などにもゆかりのある武将です。
山車人形は「敵は本能寺にあり」 主君織田信長を自害させた馬上の明智光秀です。

四番山車

真砂区
太閤 豊臣秀吉(たいこう とよとみひでよし)

5年ぶりの山車当番区で、山車人形には戦国一の出世頭「太閤 豊臣秀吉」を選び、三国祭保存振興会山車の会に制作を依頼しました。秀吉はご承知のように農民から侍となり木下藤吉郎と改名、武功をあげ織田信長に仕えました。信長の本能寺での死後、明智光秀や柴田勝家との争いに勝ち一気に天下人まで上り詰めました。太閤殿下の勇ましい姿をじっくりとお楽しみください。
 みくに龍翔館発行の「三国の曳き山車まつり展」によると明治31年に真砂区として初めて奉納した山車人形が「木下藤吉郎 稲葉山に於いて」と記録されています。秀吉はいわば、区として122年ぶりの登場となります。
 屋台は大正10年井田一洞斎によって制作されたといわれ、四の部の10区が共有しています。今年も、囃子方とともに上真砂・下真砂区民一丸になって、山車巡行の思い出をつくろうと張り切っています。

五番山車

下錦区
風林火山 武田信玄(ふうりんかざん たけだしんげん)

当区8年ぶりに奉納する山車人形は、当区が44年前の昭和51年(1976)に奉納しました「川中島の戦 武田信玄・上杉謙信」の一人 戦国武将 甲斐の戦国大名 武田家第19代当主「武田 信玄」を一つ山車で奉納いたします。
武田信玄は、甲斐本国統一を達成し、隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたる川中島の戦で抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野および遠江、三河、美濃、飛騨などの一部を領した武将です。
武田軍と上杉軍の強さは天下一であると噂されることとなった、川中島の戦。その一連の対決の中でも最大規模といわれている第四次合戦で、茶臼山に陣取る「武田 信玄」を再現させて頂きました。
下錦区内の山車巡行では、えちぜん鉄道の踏切を渡るところがありますが、山車人形には一工夫、二工夫と知恵を絞った工夫がされてあり、他の奉納山車では見られない仕掛けの見どころもありますので、是非ともご覧ください。

六番山車

松ケ下区
暫(しばらく)
松ケ下区の山車屋台は、慶応3年(1867年)三国の名工志摩鴻斉の作で、上部組物が紫檀で作られている。欄干部は黒檀で作られ、全体に均整のとれた山車屋台となっている。江戸後期から明治にかけて、三国湊を代表する松ケ下区の豪商たちが資金を出し合い作られた山車屋台である。昭和43年7月20日、三国町文化財に指定された。
150年もの年月が経って編み糸が劣化したため、水引幕を当時のまま復元した。今年が初の水引のお披露目巡行になる。
本年の人形は、歌舞伎より「暫(しばらく)」を奉納する。